個人事業主(フリーランス)専門税理士
プロフィールを御覧頂きありがとうございます!
税理士の磯俣周作(いそまた しゅうさく)です。
ひとり税理士である私が担当しますので、担当者が変更になることはありません。
私が全ての業務に携わります。
税理士には、珍しく上場子会社経理の経験があります。
「組織から個の時代」に貢献できる税理士を目指し、2019年1月独立。
個人事業主(フリーランス)やひとり社長の方の顧問がメインです。
50名ほどのお客様に携わっています。
お客様の業種は、
・漫画家(商業出版、同人誌関係)
・WEBディレクション
・美容師、理容師
・アートメイク関係
です。
一般的な会計事務所では、個人の方の確定申告は年1回、資料を送って税金計算して終わることが多いです。
実際に、私が勤務していた事務所もそうでした。
ですが、私は毎月資料を送っていただきます(記帳代行プランであれば)。
資料のやり取りや、ちょっとした疑問などでもチャットやメールで質問をしてもらえる関係を築いています。
現状のお客様もフリーランスの方ですし、ご紹介やブログからお問い合わせいただく方もフリーランスの方です。
ただし、電話での対応はやっておらず、チャットやメールが基本になります。
オンライン打合せは事前に日程を調整しておこないます。
めんどくさい経理、確定申告を丸投げしたい方。そして相談もしたい方は、税務顧問をオススメします。
個人の方向けサービス
執筆
・『税理士がひとりで独立し自分に合う生き方をしながら年商1,000万円に達するまでの道のり』(2024年5月)
・『ひとりで独立する税理士がやっている営業、やってない営業』(2023年8月)
・『家族がパニック障害になったら』(kindle)2022年6月
・『フリーランス専門税理士の独立後のあれこれ』(kindle)2022年5月
・会計人コース 2019年 04 月号 私の開業日記
セミナー、話す仕事
租税教室(貫井中学校、中村西小学校、豊玉南小学校、練馬東小学校)
ストレングスファインダー
内省
共感性
収集心
学習欲
目標志向
【肩書】
税理士
freee認定アドバイザー
マネーフォワード公認メンバー
弥生会計PAP会員
ブロガー
お客様の声
・ブログの内容から人柄を感じとれ、安心して相談できそうだったこと
・税理士さんの人柄です。返信をしっかりしてくださる所に信頼がおけました。
・相談して一つ一つの疑問点がしっかりと解決されていったので、すっきりすることができました。実際に相談して本当に良かったと思います。今後も定期的に相談をお願いしたいと思っています。本当にありがとうございました!
・期待を裏切ることなく、丁寧かつ誠実な対応に大変好感が持てました。是非、今後とも末永くご指導を賜りたく思います。
これまでの実績
会計事務所(辻本郷税理法人、個人の会計事務所)
法人税、消費税の申告
所得税の確定申告
税務相談
記帳代行(資料をお預かりして会計ソフトに入力すること)
株価算定
相続税の試算
上場子会社経理(三菱商事の子会社)
計算書類の作成
会計上の税金計算
事業所税の申告
経理規定の修正等
関連会社の経理
監査法人対応
社内外からの質問対応
資格を取ってから独立までの話
”独立したい”、”手に職を付けたい”という考えが中学生くらいからずっとありました。
明治大学商学部に入学しバイトとサークル活動ばかりしていて「このままでいいのか?」と考え、商学部ということもあり簿記3級から勉強を始めます。
簿記3級2級に合格し簿記1級は不合格でしたが、簿記と出会ったことによって税理士資格を意識することになります。
その後、大学と大学院時代を通じて税理士資格を取得しました。
独立を意識していたこともあり国内最大手の税理士法人に入社しました。
入社前からハードだと聞いていましたが、精神的にもしんどくなってしまい1年1カ月での退職。
精神的にプレッシャーをかけてくる上司に疲れてしまったことは事実ですが、今でも連絡を取り合える仲間や1年とはいえ多くの仕事に携われたことは大きな財産になっています。
次に転職したのは、個人の会計事務所です。
そこでは記帳代行、申告、年末調整、などオーソドックスな業務を学びました。
給料、労働時間、やりがい的なことに疑問を持ち、税理士業界を一旦去ることにしまいた。
最後の勤務先は、三菱商事の子会社経理です。
三菱商事子会社に転職したときには定年まで在籍するつもりでした。
日々の伝票、決算での税金計算、監査法人対応、経理規定の改定などを通じて会計事務所では経験できない仕事をすることができたと感じています。
安定してもいましたし、安定を求めて子会社経理に転職したものの、私の中にもともとあった「独立してみたい」という気持ちが芽生えました。
ブログを始めた理由
・軸を作る
・継続は力なり
・書く仕事をする
・インプット、アウトプットを加速させる
・思考の整理
・メンタルコントロール(気持ちをフラットに)
・誰かに貢献する
・人柄を知ってもらうことによる営業ツール
・時間管理(ブログを書く時間の捻出)
旅行などで行った場所
軽井沢
ディズニーランド、シー
沖縄(新婚旅行、子供が1歳のとき2回)
伊東
広島
ツインリンクもてぎ
イタリア(ローマ、ナポリ、フィレンツェ)
フランス(パリ)
得意なこと、好きなこと
・調べて説明すること
・読書
・方向性や価値観の合う方と話すこと
趣味
・ケツメイシ
・サッカー(プレー:KFC所属〈2017.4~2021.1〉OGUSU SPORT CLUB所属/観戦:FCバルセロナ)
・男はつらいよ
・007シリーズ
・あぶない刑事
家族
妻、10歳の男の子(小学生)、7歳の女の子(小学生)
生い立ち
1985年10月27日生まれ B型
出身大学
明治大学商学部(2009年3月卒業)
略歴
悩んだり後悔しながらも前に進み続けています!
【0歳 1985年10月27日】
新宿区の聖母病院にて生まれる。
名前の由来は、小説家の遠藤周作から。
私の子供二人も同じく聖母病院にて生まれた。
【幼稚園の年中】
年中から幼稚園に通い始める。
年少から幼稚園に通えば、もっと社交的な性格になったのかなと思うことも。
ドラゴンボール世代でマンガも全巻購入。
【小学生】
通信簿に「落ち着きがない」と書かれる。好きなもにはドはまりし、興味の無いものには・・・という状況。
好かれる先生には好かれたが、合わない先生からは好かれなかった。評価の差が激しかった印象。
内面を見てくれた先生は、一人の個人として対等に付き合ってくれたが、やんちゃだと決めつけてくる先生とはそりが合わず。
小学校1年からサッカーをしていたが、惰性で続ける時期もあったが続けることができた。
【中学生 1998年4月~2001年3月】
日本が初めてワールドカップに出場した年に地元の公立中学校へ入学。
部活中心の生活を送りながらも勉強、友人関係、遊びとそれなりに充実していた印象。
やんちゃな友人から帰国子女まで、幅広い友人関係ができた。
中学2年時にサッカー部の部長に抜擢され、中学3年時にはクラスの学級委員に選んでもらった。
ヴェルディユース出身者と都の選抜に選出されたメンバーがいたおかげで、中学3年時には都大会のベスト16進出。
ワールドカップをきっかけにケーブルTVに加入した。
そこでFCバルセロナの試合を初めてTV観戦した。(99-00シーズン)
ピッチをワイドに使い、パスを美しく回すサッカーに惚れた。
【高校生 2001年4月~2004年3月】
自宅から1時間かかる私立高校に入学した。遠いのは時間の無駄と反省し、大学は近場にしようと決意。移動時間や通勤時間への考え方は、今と変わらない。
守りに入ったことを反省。守りとは①年を重ねてもできるからという理由だけでテニス部にしたこと(友人関係は良かった)②文系に転向できるからという理由で2年生で理系に一瞬だけ進んだこと。
理系に見切りをつけ、文系に転向するも浪人が決まる。
【浪人時代 2004年4月~2005年3月】
河合塾池袋校に通う。この時期は人付き合いも無く、運動もしなかった。
運動はすれば良かったと、これまた後悔。
受験科目は「政治経済」を選択。
理由は、日本史・世界史は現役時代にやっておらず政治経済を選択した。
政治経済だと立教・上智は受験できなかったが、ガラに合わないとう直観を信じた。直観を信じた自分を褒めたい。
【大学1年生 2005年4月~2006年3月】
晴れて大学生になり、明治大学商学部へ入学。
ここでサークルをテニスをするのか、サッカーに戻るのか悩む。
サッカーサークルに行ってみるも、雰囲気が違うかなということで退散。
テニスサークルもチャラい感じが多い中、部活とサークルの間の位置づけの「体育同好会テニス連盟」(体同連)に加入。
体同連では、会計士を目指す仲間がおり、いまだに連絡は取りあう。
商学部だからという理由で簿記を始めるも、まったく興味がわかないまま6月に受験し当然に不合格。簿記から遠ざかる。
アルバイトは個人塾の講師を1年間勤める。
教え子の成績が伸びて年賀状をもらったのは嬉しかったです。
【大学2年生 2006年4月~2007年3月】
テニス、バイトだけでは物足りなくなり、簿記の勉強を再開し、簿記2級まで合格。
当時から税理士資格に興味あり、税理士試験に進むか考えたが、就職活動に生かせるだろうという考えで、簿記1級に進むことに。
体同連は週に2回ほど出席が義務付けられており、簿記1級に進むと授業数が増えたことと、強制参加であることが面倒になり退部。
アルバイトは、地元のマクドナルド。ちょうどこの時期から24時間が始まった。
【大学3年生 2007年4月~2008年3月】
簿記1級を6月に受けるも不合格。そのままの流れで税理士試験の簿記論を受験(8月)するも不合格。
このころから周りは就職活動を開始するが、周囲に流されて就職活動することに意味を見いだせず、また就職して会社の命令で転勤や職種を選べないのは、イヤだと感じ将来的に独立可能な税理士を目指すことを決める。
転勤がイヤだったり、自分らしく生きたい!というスタンスは一貫している。(生意気かもしれないが)
【大学4年生 2008年4月~2009年3月】
・将来的に独立
・学生時代に何かしら形になるものを残したい
と思いながらも、税理士試験では結果が揮わず。
卒業間際にリーマンショックが発生し100年に一度の不況に。
就職してないことに焦る気持ちも少しあった。
が、「さらに頑張ろう」「他人と比較して焦るな」と自分に言い聞かせた。
元から少数派であることを自覚しつつあった性格もあり、気持ちを上手くコントロールした。
【大学院1年生2年生~大手税理士法人へ就職まで 2009年4月~2011年9月】
この時期に税理士試験が終わった。
大手税理士法人への就職が決まると、当時飼っていたホワイトテリアが亡くなる。中学1年生(98年)から就職するまで、見守ってくれたと思う。