輝ける場は誰かに用意してもらうのではなく、自ら探す・作るもの

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そもそも平等ってあるのか?

「誰もが平等」と教えられてきました。

今の学校教育も同じだと感じます。

確かに分かるのですが、行き過ぎると権利ばかり主張する左翼主義者になりやしませんか?と感じます。

私の考えは右も左も混在していますが、権利ばかり主張するのはどうなの?というスタンス。

 

たとえば学芸会。

学芸会は主役になれる子とそうでない子に当然分かれます。

それが学芸会というものです。

みんな主役はムリ・・

学芸会のアンケートに「みんなが主役になっていない」という声があったようです。

「そんなの当たり前じゃないか」と私は考えます。

こえが不平等なのでしょうか?

役を決めるときに何らかの不正があれば不平等かもしれません。
ただ、世の中見渡してみるとそういうことたくさんありませんか・・?

不平等だからと言い出したら何も進まないし、何もできません。

 

他にも産まれた家によって差があるのが不平等なのか?

これだって、もう受け入れるしかないわけであって。
不平等を嘆くよりも、今置かれた状況をどうしていくのか?のほうが大切です。
差を無くそうと考えるよりも、産まれ育った環境でもチャンスを作るメンタルが必要です。

平等なチャンスが与えられる社会も無理かな・・と。
どうしても、持てる者のほうがチャンスが巡ってくるでしょうし、打席に立ちやすい位置にいることが多いはず。

だからといって諦めるのか?ということになってくるのではないでしょうか。

 

「明るい未来が見えない?」だったら自分で作るしかない

自殺率も高いし明るい未来が見えない日本です。海外で禁止された農薬も日本が在庫処分のようになっていますし、明るくないのが日本の現状です。

とは言っても、明るい未来が見えないなら自ら探す、作るしかないのではないでしょうか。

待っていても明るい未来を誰かが準備してくれることはあり得ません。

そりゃ暗いかもしれませんが、「暗い」「心配だ」と思っていたら、暗い未来や心配していた未来しか訪れません。

自らが暗い未来(現実)を作っています。

 

先ほどたとえ話にでた学芸会。

学芸会では主役ではなかったかもしれませんが、他の場では主役になれることがあるでしょう。

自分が主役になれる場を誰かが準備してくれるのを待っているだけでなく、考えて場を探す、作ることが大切です。

これこそが考える力なのかな~と。

 

自分自身が輝ける場を探したり作ることで、明るい未来を見ることができます。
そういった空気感が伝播していけば世の中も変わります。

集合意識とも言えるかもしれませんね。

 

 

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